映画『ある閉ざされた雪の山荘で』を見終わったあと、「結局、誰が何をしていたのか」「なぜ“誰も死んでいない”のに殺人事件になったのか」とモヤモヤが残ってはいないでしょうか。
三重構造のトリックや、麻倉雅美と本多雄一の思惑が絡み合う本作は、物語の全体像を頭の中で整理しにくいタイプのミステリです。
本記事では、ストーリーの流れに沿ったネタバレあらすじから、三重構造トリックの仕組み、そして「犯人がいない事件」の真相とテーマまでを、映画・原作の両方を踏まえて分かりやすく解説いたします。
最初に「結末だけ知りたい方」向けの超要約ネタバレもご用意し、その後でじっくりと真相を分解していきます。
なお、ここから先の本文は作品の重大なネタバレを含みます。未視聴・未読のままラストの驚きを味わいたい方は、この先のスクロールには十分ご注意ください。
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『ある閉ざされた雪の山荘で』とは?作品の基本情報
原作小説の概要とジャンル
『ある閉ざされた雪の山荘で』は、東野圭吾氏が1992年に発表した長編ミステリです。クローズドサークル(外界と遮断された密室状況)と、多重構造のトリックを組み合わせた作品で、作者自身が「本格推理のイミテーション」を目指したと語る、少し風変わりな本格ミステリとして知られています。
早春の山岳地帯のペンションに、舞台の最終オーディションに臨む俳優志望の若者たちが集まり、外界と連絡を絶たれた状態で「雪に閉ざされた山荘で起こる連続殺人」を演じる──という入れ子構造が大きな特徴です。
映画版の公開情報とキャスト
2024年には日本で映画化され、重岡大毅さん主演のサスペンス・エンターテインメントとして公開されました。
主人公・久我和幸:重岡大毅さん
劇団のトップ俳優・本多雄一:間宮祥太朗さん
圧倒的天才女優・麻倉雅美:森川葵さん
勝気な女優・笠原温子:堀田真由さん
お嬢様女優・元村由梨江:西野七瀬さん
劇団リーダー・雨宮恭介:戸塚純貴さん
ほか、中条あやみさん、岡山天音さんなど若手実力派キャストが集結しています。
映画版も原作同様、「大雪で閉ざされた山荘」という架空のシチュエーションで連続殺人が起きるという前提で、オーディション参加者たちが演技と現実の境界を揺さぶられていきます。
ネタバレ前に押さえておきたいポイント
ネタバレに入る前に、本作のキーワードを整理します。
舞台は「実在のペンション」と、その中で演じられる「架空の雪の山荘」
参加者たちは、「殺人事件の犯人を推理する芝居」をしながらオーディションを受ける
作品の肝は「三重構造」と「犯人がいない連続殺人」
ここから先は、結末まで含めた詳細なネタバレとなります。
まずは結末だけ知りたい人向け・超ざっくりネタバレ
一言でいうと「誰も死なない三重構造ミステリ」
一言でまとめると、本作は「誰も殺されていないのに、殺人事件としてオーディションが進行する三重構造ミステリ」です。
山荘での連続殺人は、
オーディションのためのシナリオとしての殺人劇
雅美の復讐計画としての“本物らしく見える殺人事件”
実際には誰も死んでおらず、三人は隠れて演技していたという「偽の事件」
という三重構造になっています。
結果として、犯人とされた本多雄一は誰も殺しておらず、真の意味での殺人犯は存在しません。
三重構造それぞれの役割をひと目で整理
テキストベースで、三層の役割を簡単に整理します。
第一層:オーディションとしての殺人劇
劇団の新作舞台の主役を決めるため、参加者全員が「探偵役」を演じる設定
「大雪で閉ざされた山荘で連続殺人が起きる」というシナリオを、監視カメラ越しに演出家がチェック
第二層:雅美の復讐としての“本物らしさ”
事故で下半身不随となった天才女優・麻倉雅美が、事故の原因を作った三人への復讐を望む
本多雄一が雅美の依頼を受け、「三人が本当に殺されたように見せる計画」を進める
第三層:雄一が仕掛けた「誰も死なない偽の事件」
実際には三人は生きており、裏で隠れながら“死んだふり”を続けている
目的は「三人に心から謝罪させること」と、「雅美に生きる意味を取り戻させること」
最後に真相が明かされ、山荘での出来事が舞台作品として上演される
この全体像を頭に置いたうえで、詳細なあらすじを見ていくと理解しやすくなります。
ネタバレあらすじ|時系列で追う「山荘での4日間」
合宿オーディションの始まりと「架空の雪の山荘」
物語は、人気劇団の新作舞台オーディション最終選考に残った俳優たちが、山奥のペンションに集められるところから始まります。
参加者は劇団所属の6人+別の劇団から参加した久我和幸の計7人
演出家から与えられた条件は、
外部との連絡禁止(破った者は失格)
「大雪で閉ざされた山荘」で起こる連続殺人事件を演じ、その中で“探偵役”としてふるまうこと
実際のペンションは雪に閉ざされていませんが、「雪で外に出られない」という設定でオーディションが進行していきます。
次々と消えるメンバーたちと高まる疑心暗鬼
最初は「遊び半分」のような雰囲気で始まった合宿ですが、やがて事態は不穏さを増していきます。
第一の事件:
勝気な女優・笠原温子が、ヘッドホンのコードで絞殺されたような姿で発見される
遺体はすぐにどこかへ運び出され、以降姿を見せない
第二の事件:
お嬢様女優・元村由梨江が、停電の最中に頭部を殴られて殺されたかのような状況になる
やはり遺体は行方不明
第三の事件:
劇団リーダーの雨宮恭介が、リビングで首を絞められて倒れているのが見つかる
当初は「これはすべて演出家が用意したオーディション用の“仕掛け”だ」と考えられていましたが、血痕や衣服の切れ端など、あまりにもリアルな痕跡が見つかり、参加者たちは徐々に「本当に誰かが殺されているのではないか」と疑い始めます。
雅美の過去と復讐計画が明かされるまで
捜査役を買って出るように行動していた久我は、行方不明になった三人に共通する過去にたどり着きます。
彼らは過去に同じ劇団の天才女優・麻倉雅美の元を訪ねていた
雅美は重要なオーディションに落選し、劇団を辞めて実家へ戻っていた
その際、温子たち三人が「励まし」と称して訪ねたものの、大喧嘩に発展
帰り道で温子が「大変な事故に遭った」と嘘の電話をかけ、驚いた雅美は不注意から交通事故に遭い、下半身不随となってしまった
この出来事により、雅美は三人に強い恨みを抱くようになります。
久我は、山荘で進行している出来事が、雅美の復讐のための“本当の殺人事件”なのではないかと推理し、三人を殺した犯人が本多雄一だと断定します。ここで物語は、さらなる真相へと一気に踏み込みます。
事件の真相と三重構造トリックをわかりやすく解説
第一の層:最終オーディションとしての殺人劇
最初に明かされるのは、「山荘での連続殺人」という事件が、もともと新作舞台の最終オーディションのためのシナリオであったという点です。
参加者全員が“探偵役”としてふるまうことを求められている
監視カメラや音声設備を通して、演出家が演技・反応をチェックしている
参加者が本気で「事件だ」と思い込めば思い込むほど、リアルな芝居になる
この「芝居としての事件」が第一の層です。
第二の層:雅美の復讐としての「殺人計画」
次に浮かび上がるのが、雅美の復讐計画です。
雅美は、イタズラ電話が原因で事故に遭い、下半身不随となった
絶望の中で、事故を引き起こした三人への復讐として、本多雄一に「三人を殺してほしい」と依頼する
雄一は「雅美の足になる」と誓っており、その願いを受けるかのように見える
表面的には、山荘での連続殺人は「雅美の復讐を果たすために雄一が三人を殺害している事件」として説明されます。これが第二の層です。
第三の層:雄一が仕掛けた「誰も死なない偽の事件」
しかし真相はさらに先にあります。実際には、三人は誰も殺されておらず、全員生存しています。
雄一は雅美の依頼を受けたうえで、
三人に全てを打ち明け、協力を要請
「死んだように見せかけて隠れる」ことで、雅美に本当に殺されたと信じ込ませる
同時に、三人に自分たちの罪と向き合い、心から謝罪させる場を準備する
山荘で起きた連続殺人は、
観客(雅美)に対して復讐が果たされたと信じ込ませるための“演技”であり、
罪を犯した三人を更生させ、雅美に生きる希望を与えるための“大芝居”でもあった
久我は、監視設備の矛盾点などから「雅美がどこかで見ている」と見抜き、三重構造の全体像にたどり着きます。最終的に三人は姿を現し、雅美に頭を下げて謝罪し、真相が明らかになります。
この第三の層こそが、本作の最大のどんでん返しです。
主要キャラクターごとの役割と心情整理
麻倉雅美:事故で全てを失った天才女優
雅美は、かつて将来を嘱望された天才女優でしたが、イタズラ電話が引き金となった交通事故で下半身不随となり、舞台に立つ夢を完全に絶たれてしまいます。
三人への恨みと、自分自身への怒り
「死にたい」と口にしてしまうほどの絶望
しかし最終的には、山荘での出来事を題材とした舞台で自らも役を与えられ、生きる意味を取り戻していきます
復讐心から始まった計画が、結果として彼女自身の再生につながる点が、作品の大きなテーマとなっています。
本多雄一:復讐と救済の両方を背負った俳優
雄一は、雅美の事故と復讐の中心にいる人物です。
雅美に「君の足になる」と約束し、彼女の代わりに何でもすると誓う
その結果、三人を本当に殺すのではなく、「殺したように見せる」三重構造の芝居を考案
三人に協力を依頼し、命を奪わずに贖罪と救済を同時に成り立たせようとする
外側から見ると雄一は「犯人」に見えますが、実際には**誰も殺していない“救済のための仕掛け人”**であり、作品全体の倫理的な軸を担っています。
久我和幸ほか、山荘メンバーの立ち位置
久我は、劇団外から参加した“部外者”として配置されており、観客の視点を代弁する役割を担います。
事件に対して最もシリアスに向き合い、アリバイ作りや推理を行う
三重構造の真相に到達する探偵役であり、ラストでは雄一とともに舞台化にも関わる存在
他のメンバーは、
自己中心的だったり、過去の行為と向き合うことから逃げていたりと、それぞれの弱さを抱えていますが、山荘での出来事を通じて、少しずつ変化していきます。
映画版と原作小説の違い|どちらから楽しむべきか
設定・キャラクター性の主な変更点
映画版は、原作の構造を踏襲しつつ、令和の観客向けにいくつかアレンジが加えられています。
代表的な違いの方向性は以下の通りです(細部はここでは抽象的にとどめます)。
時代背景や小物類が現在風にアップデートされている
一部キャラクターの性格づけや関係性が、映像映えするように強調されている
三重構造の説明が、原作よりも視覚的・セリフ的に分かりやすく提示される一方、論理面の説得力に疑問を持つ声もある
トリックの見せ方・テーマの強調の違い
原作は、読者の想像力に委ねる部分が多く、「本格推理のイミテーション」として構造そのものを楽しませる作りになっています。
一方、映画版では、
三重構造のサプライズ性
若手俳優たちの掛け合い
「演技とは何か」というテーマ
が前面に出されており、ミステリとしての厳密さよりも、サスペンス・エンターテインメントとしての勢いを重視した印象があります。
こんな人には原作/映画がおすすめ
原作小説がおすすめの方
トリックや構造をじっくり味わいたいミステリ好き
多少強引でも、「騙される体験」そのものを楽しめる方
東野圭吾作品の中でも変則作に興味がある方
映画版がおすすめの方
キャスト目当てで、テンポ良く物語を追いたい方
三重構造を“映像で”体感してみたい方
原作を読む前に、ざっくり全体像を押さえたい方
両方に触れる場合は、先に映画→後から原作とすることで、「映像では描き切れなかった細部」を原作で補完しながら楽しむことも可能です。
作品が伝えるテーマとメッセージの考察
復讐か、救済か──「演技は殺し合いではなく生かし合い」
作中では、「演技は殺し合いではなく生かし合い」という趣旨のセリフが印象的に使われます。
当初、雅美の復讐は「三人を殺す」という形で完遂されるはずでした
しかし雄一は、命を奪うのではなく、「徹底した演技」で三人を追い詰め、反省させる道を選びます
その結果、雅美にも「生きて役を演じる」未来が開かれていきます
ここには、
演技という行為が、他者を傷つける嘘にもなりうる一方で、
誰かを救い、やり直すための嘘にもなりうる、
という二面性が描かれています。
嘘と演技、現実の境界線について
本作では、
オーディションとしての「嘘の事件」
雅美の復讐のための「本物らしい嘘」
誰も死んでいない「救済としての嘘」
が、何重にも重なっています。
観客である私たちは、
どこまでが“設定(フィクション)”で、
どこからが“作中の現実”なのか、
を揺さぶられ続けることになりますが、その不安定さこそが作品の魅力と言えます。
ラストシーンが残す余韻と読後感・後味
ラストでは、山荘での出来事が舞台作品として上演され、雅美も役を与えられます。
復讐は「殺人」ではなく、「舞台」という形に昇華される
過去の罪は消えないものの、三人は真剣に謝罪し、雅美もそれを受け止める
観客は、「これで本当に良かったのか」というモヤモヤと、「誰も死ななかった安堵」の両方を抱くことになります
この甘さも苦さも残る読後感が、本作が長く読者・観客に語られている理由の一つといえるでしょう。
『ある閉ざされた雪の山荘で』はどんな人に向いているか
ミステリ初心者/映画だけ観たい人への向き不向き
向いている方の例です。
「難しすぎないけれど、ちゃんとひねりのあるミステリ」が好きな方
血なまぐさい描写よりも、構造の意外性を楽しみたい方
キャラクター同士の駆け引きや、役者の演技を眺めるのが好きな方
一方で、
論理的に隙のない本格ミステリを求める方
人物行動のリアリティを強く重視する方
には、やや物足りなさや違和感を感じる可能性もあります。
ミステリ好き・東野作品ファンが楽しめるポイント
クローズドサークル×劇中劇×多重構造という、やや実験的なプロット
「本格推理のイミテーション」という自己参照的な遊び
トリックが分かったあとに、序盤から読み返したくなる構成
東野圭吾作品の中でも、“異色だけれどクセになるタイプ”の一作として位置づけられます。